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福岡高等裁判所 昭和53年(行コ)29号 判決

三〇号事件控訴人(原告) 森谷征国 外二名

二九号事件被控訴人(原告) 神本義勝

二九号事件控訴人 三〇号事件被控訴人(被告) 北九州市長

主文

原判決中、一審被告敗訴部分を取消す。

一審原告神本義勝の請求を棄却する。

一審原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三の本件各控訴を棄却する。

訴訟費用中、一審原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三と一審被告との間に生じた控訴費用は、右一審原告らの負担とし、一審原告神本義勝と一審被告との間に生じた訴訟費用は、第一、二審とも同一審原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  一審原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三ら、第三〇号事件につき、

原判決中、右一審原告らに関する部分を取消す。

一審被告が昭和四五年七月二五日にした一審原告森谷征国を減給日額二分の一(八〇〇円)、同安田忠幸を戒告、同木村一二三を減給日額二分の一(七〇〇円)とする懲戒処分を取消す。

訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。

2  一審原告神本義勝、第二九号事件につき、

一審被告の本件控訴を棄却する。

控訴費用は一審被告の負担とする。

3  一審被告

(一)  第二九号事件につき、

原判決中、一審被告敗訴部分を取消す。

一審原告神本義勝の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも一審原告神本義勝の負担とする。

(二)  第三〇号事件につき、

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は一審原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三らの負担とする。

二  当事者の主張及び証拠関係

一審原告らが当審における証人米沢澄の証言を援用し、一審被告が当審における証人細川清春の証言を援用したほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。但し、原判決一八枚目裏末行の「作業点検」を「仕業点検」と訂正する。

理由

一  当裁判所は、一審原告らの本訴請求はいずれも失当として、これを棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、次に付加し、改めるほか、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

1  原判決三一枚目裏一一行目の「新川行雄」の次に「当審における証人米沢澄」を、同三四枚目裏一行目の「中村各証人」の次に「、当審における証人米沢澄」を各加える。

2  同三四枚目裏一二行目の「岩佐常雄」の次に「、当審における証人細川清春」を加える。

3  同三六枚目裏末行以下同三七枚目表八行目までを次のとおり改める。

「4 続いて、原告神本は、午前八時一〇分頃、同作業所事務室に入つて来て、「大里(作業所)も仕事をさせん。」と言い、事務室の電話を勝手に使用して、大里作業所の原告森谷を呼出し、仕事をしないよう連絡しようとした。その間、そのことを聞いた業務第三係長細川清春が「お前が仕事をさせんのか」、「お前が仕事をやめさせるのか、」とそれをとがめたところ、「そうよ。おれよ。」、「わかつちよろが。」等言つて、強固にその意をかえようとしなかつた。もつとも、原告神本が右電話したとき、右森谷はすでに作業に出た後であつたので、大里作業所での作業の遅れは生じなかつた。

5 前記手割作業の妨害や、抗議行動等のため、西海岸作業所での作業開始が三〇分間遅れ、ようやく他の従業員らは清掃作業に出動したが、原告神本は、その後も、同日は終日(所定の作業時間である午後三時五〇分まで)就労しなかつた。」

4  同三七枚目表九行目の「原告本人」を「原告神本本人」と改め、同裏八行目の「のうち、名札盤の名札をかえして業務を妨げた点」及び同一〇行目から一一行目にかけての「( )」の部分を各削除する。

5  同三八枚目表四行目以下理由末尾までを次のように改める。

「次に、原告らは、被告の本件各懲戒処分はその裁量の範囲を逸脱し、処分権の濫用である旨主張する。

職員に懲戒事由がある場合に、懲戒権者が当該職員を懲戒処分に付すべきかどうか、懲戒するときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては公正でなければならない(同法第二七条)ことはもちろんであるが、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果その他諸般の事情を考慮して、懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定しうるのであつて、それらは懲戒権者の裁量に任されているものと解される。したがつて、右の裁量は、恣意にわたることを得ないことは当然であるが、懲戒権者が右裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきところ(最高裁判所昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)、前記認定のような原告らの各行為の経緯、内容、結果等に照すと、被告のした本件各懲戒処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を逸脱したものということはできず、他にこれを認めるに足りる事情も見当らない。よつて、一審原告らの右主張は採用できない。

八 もつとも、成立に争いのない甲第一三号証によると、原告神本に対する処分説明書には、その処分理由として、「昭和四五年七月二五日、門司清掃事務所西海岸作業所において、出欠名札盤の名札を裏返して手割業務を妨害するなどの行為をしたものである。」とのみ記載されていて、前記六の4、5認定の行為については、同処分説明書に具体的記載がない。しかし、前記六認定の各事実及び弁論の全趣旨を総合すると、原告神本の名札盤の名札裏返しによる手割業務妨害行為と右六の4、5認定の行為とは、同一作業所内の同一機会における一連の行為と認めることができ、被告は、原告神本のこれら一連の行為を本件懲戒処分の対象にしたものであつて、ただその処分説明書中の処分理由には、原告神本の前記行為のうち、最も違法性が大であると考えた手割業務妨害行為を代表的なものとして取り上げ、他は「など」として包括的に表現したに過ぎないものであることが明らかである。

九 そうすると、被告が原告らに対してした本件各懲戒処分はいずれも相当であつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却すべきである。」

二  そうすると、原判決中、一審原告森谷、同安田、同木村の請求を棄却した部分は相当であるが、一審原告神本の請求を認容した部分は失当というべきである。よつて、一審原告森谷、同安田、同木村らの本件各控訴は理由がないのでこれを棄却し、一審被告の本件控訴は理由があるので、原判決中、一審被告敗訴部分を取消し、一審原告神本の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第九六条、第九三条、第八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤次郎 原政俊 寒竹剛)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

1 被告が原告神本義勝に対して、昭和四五年九月一二日なした懲戒処分(停職一月間)を取消す。

2 原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三の請求を棄却する。

3 訴訟費用は原告神本義勝と被告の間で生じた分は被告の、原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三と被告の間で生じた分は同原告らの各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 原告ら

1 原告神本義勝は、主文第1項同旨。原告森谷征国、同安田忠幸、同木村一二三は「被告が、昭和四五年七月二五日なした原告森谷征国を減給日額二分の一(八〇〇円)、同安田忠幸を戒告、同木村一二三を減給日額二分の一(七〇〇円)とする懲戒処分を取消す。」

2 訴訟費用は、被告の負担とする。

二 被告

1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因(原告ら)

1 被告は、原告らの任命権者である。原告らは北九州市(以下市という)に雇傭される地方公務員で、昭和四五年当時原告森谷に、同安田、同神本は、清掃事業局門司清掃事務所技術吏員(清掃作業員)、原告木村は同局小倉東清掃事務所技術吏員(自動車運転手)であつた。

2 また原告らは、市職員の内、約八、〇〇〇名で組織する北九州市職員労働組合(以下市職労という)員で、原告森谷は門司支部副支部長、現業分会長、同安田は同分会書記長、同木村は前記所属事務所の運輸係職場委員長、同神本は元門司支部現業分会執行委員で、当時同支部青年部青年行動隊員であつた。

3 被告は、原告らに対して、夫々主文第1項、請求の趣旨第一項各記載の如き懲戒処分を行つた。被告主張の処分事由及び地方公務員法(以下法という)の適用条項は次の通りである。

原告森谷……昭和四五年六月一八日、上司に対して脅迫的な発言をなすと共に粗暴な行為をした(二九条一項一、三号)。

同 安田……昭和四五年六月一〇日、上司の職務命令に不服をとなえ、他の職員が就労したにもかかわらず、すみやかに就労せず、上司に対し威圧的態度を示した(同条一項一、二、三号)。

同 木村……昭和四五年五月二〇日、上司の服務上の注意に不服をとなえるとともに威圧的態度を示し、器物を毀損した(同条一項一、三号)。

同 神本……昭和四五年七月二五日、門司清掃事務所西海岸作業所において、出欠名札盤の名札を裏返して手割業務を妨害するなどの行為をした(同条一、二、三号)。

4 しかし原告らには被告がその処分事由にあげるような行為は全くなく、本件処分は違法であるから取消されるべきである。

二 請求原因に対する認否(被告)

1 第1項は認める。

2 第2項は不知。

3 第3項は認める。

三 抗弁(被告)

1 原告森谷の違法行為

(一) 同人は、業務第二係、大里作業所勤務であつたが、昭和四五年六月一八日、昼休みに西海岸作業所に来て昼食し休憩していた。そうして、午後一時すぎても、同原告及び同人と同行していた大里作業所の作業員四、五名は、その前頃からぱらぱらしていた小雨を理由に、同作業所に戻つて就労しようとせず、西海岸作業所二階の詰所に残留していた。そうして就労状況確認のため、右詰所に来た岡本業務第四係長に対し、残留していた右作業員中坂本岩男及び宮浦真人は、雨でぬれるから連絡車で送つてくれと要求し、同係長が自分達の作業車に乗つて行くように言つてこれを断ると、原告森谷は大声で「車を貸せつちいいよろうが」と重ねて連絡車使用を要求した。同係長が再度断ると、同原告は激昂して同係長の左腕をつかみ「お前が(作業車に)乗つてみれ」と言いながら約三ないし四mはなれた屋外非常階段の踊り場まで引きずつて行き、約四mの高さの踊り場で「お前が乗つてみれ」といいながら手すりに押しつけ「ここから突き落すぞ」と脅迫した。身の危険を感じた同係長は「やめんか」「やめなさい」と言いながら原告森谷を押しもどすようにして同所でもみ合つた。そのとき岩佐副所長が来て同原告を制止したので、同人はようやく岡本係長の腕をはなした。

なお、その間、西海岸作業所々属の作業員は全て作業に出ていて、雨で作業ができない等の苦情は言つていなかつた。なお、作業を中止するかどうか(雨天で)は所長の決定事項で、組合と協議して決めることは、前もしていなかつた。

(二) 法三三条違反、二九条一項一、三号該当。

2 原告安田の違法行為

(一) 同人も、業務第二係大里作業所勤務であつたが、昭和四五年六月一〇日は午前八時の始業前から小雨であつた。大部分の作業員は、所定時刻に作業に出たが、八時一五分になつても業務第二係のし尿一〇班と大口班の二台の作業車付作業員五名、し尿一二班所属の原告安田並びに堀口某は同作業所一階の更衣室に残留し、就労を指示した白木業務第二係長にも「合羽がない」などと言つて就労しようとしなかつた。

その後八時二〇分項大口班の作業員二名が就労したが原告安田を含む残り五名は就労せず、その一人であるし尿班の坂本岩男は雨天待機をさかんに主張した。所側は白木係長のほか、大瀬業務第一係長、上野庶務課長、藤本運輸係長も来て、くりかえし就労を指示したが、右残留者らは従わなかつた。

右のようないきさつで、白木係長がくりかえし就労を命じていると、興奮した坂本は「何をいうか。雨が降りよるじやないか。生意気な。」とどなつて、同係長の胸を両手で強くついたため、よろけた同係長は後の長椅子にしりもちをついた。

これを見た原告安田は、座つていた椅子から突然立上り、「こんな雨で出れとはお前が悪い。」とどなつて、途中の長椅子を飛びこし、同係長に殴りかかるような威圧的姿勢で詰め寄つたが、藤本係長らに制止された。

その後八時二七分頃、右坂本らは就労したが、原告安田と堀口は所属の作業車が二人を残して作業に出てしまつたので、直ちに就労することができず、八時四〇分頃指導員の連絡車に乗つて就労した(その間、約四〇分間の職務放棄)。

(二) 法三二条、三三条、三五条違反、二九条一項一、二、三号該当。

3 原告木村の違法行為

(一) 同人は、運輸係に所属していたが、昭和四五年五月一六日(土)と一九日(火)の各午後三時二〇分頃、小倉東清掃事務所一階運転手ロツカー室で、訴外米沢と共に自動車運転手を集め、仕業点検が終つても午前八時二〇分までは既得権だから作業に出るなと説得した。

更に訴外米沢は、同月一八日(月)も同様の説得行動を行つた。

よつて、同事務所生野所長は、武井副所長に右両名に注意するよう指示した。

そこで武井副所長は、同月二〇日午後三時二五分頃、原告木村と訴外米沢を同事務所二階事務室の自席に呼び右の三日間に仕業点検がすんでもすぐ出発するなというような呼びかけをするのは職員として許されないことである旨注意すると、原告木村は「そんなこと誰が報告したか。」「おれはそんなことはしていない。」「おれは月曜は年休で休んでいた。」と大声でくつてかかり、武井副所長が三日間そのような説得行為があつたということで、原告木村が月曜日にもやつたという意味ではない旨説明したのに、同人はききいれず「デツチあげで俺に罪をぬすくるな」などと大声でわめき、威丈高に武井副所長に迫り、「でたらめを言うな」と言つて右拳で机上を強打して、机に敷いてあつた縦約一m、横約一・五m、厚さ約五m/mのガラスを割つた。

(二) 法三三条違反、二九条一項一、三号該当。

4 原告神本義勝の違法行為

(一) 同人は、業務第四係に属し、西海岸作業所に勤務していた。

同作業所玄関の壁にはごみ収集班用と、し尿その他の収集班用の出欠名札盤が設置されていて、出勤した職員は、出勤簿に押印すると共に名札盤の自分の名札を赤(裏)から白(表)にかえすことになつていた。そうすると始業時刻(午前八時)に、指導員は名札盤によつて各班の出欠を把握し、赤の名札をはずして出勤している予備員の名札をかけ、作業配置(当日の班編成)をしていた(作業手割り)。そうして終業し退勤するときは、職員はまた名札を自から赤にかえすことになつていた。

このような名札盤は職員の出退勤確認と作業手割の簡便迅速化のため、昭和四三年一〇月頃から各清掃事務所に設置され活用されていたが、門司清掃事務所は職員の協力を得られず、設置されていなかつた。

竹内所長はこれを職員の勤務時間厳守のための方策の一つとして、昭和四五年六月二二日から実施することとし、職員に周知させていた。

そうして、このような出退勤確認の方法を採用することは、労働条件に変更を加えるものではなく、管理運営事項に属するもので、当局がこれを命ずると職員はこれに従う職務上の義務を負うものであり、名札盤設置後大部分の職員は、これに従つていた。しかし原告神本を含む約一〇名はこれに従わず、同人らについては、指導員が出勤簿や現認によつてその出勤を確認して作業配置を行つていた。

このような状態であつたが名札盤の採用は、従前のように所側が九〇数名の多数の職員を出勤簿によつて出欠を点検し、いわゆる手割りを行つて口頭で作業配置を伝える方法にくらべはるかに能率よく、確実で効果的であつた。

しかして、原告神本は、昭和四五年七月二五日午前八時すぎ頃、西海岸作業所業務第四係指導員本田忠正が、名札盤によつて職員の作業手割(配置決定)をしているところに来て、「こんなものがあるから処分されるんや。」と言いながら白になつている名札を赤にかえしはじめた。そうして同指導員が制止を無視して、白の名札を全部赤にかえしてしまつた。そのため、はじめから作業手割を出勤簿又は出勤現認に基いてやりなおすほかはなく、午前八時五分頃には終る作業手割りが午前八時一五分頃までかかり、作業手割りが妨害された。

(二) また当日午前八時頃から、同作業所二階事務室では、同日発令された訴外吉永正直らの懲戒処分に対する抗議が数十人の職員によつて行われていた。

原告神本は、午前八時一〇分頃、同事務室に来て、在室していた岡本業務第四係長、細川業務第三係長に「大里も仕事をさせん」と言つて大里作業所での就労拒否を企て、事務用電話を勝手に使つて市職労門司現業分会長の原告森谷に電話をしたりした。

その後他の職員らは、午前八時二五分頃から就労したのに、原告神本は就労せず、終日その職務を放棄した。

(三) 法三二条、三三条、三五条違反、二九条一項一、二、三号該当。

四 抗弁に対する認否(原告ら)

1 原告森谷について

同原告が大里作業所に属していたこと、昭和四五年六月一八日昼休み、同原告ほか大里所属の作業員数名が西海岸作業所に来ていたこと、その降りはじめの時刻、程度は別として、雨が降り出したこと、岡本係長が就労するように求めたこと、坂本、宮浦の両名が連絡車を出すように求めたこと、同係長がこれを拒絶したことは認める。その余は否認。

昭和四一年の分断闘争(「清掃紛争」)において、組合が分裂し、第二組合ができて、門司清掃事務所の作業所も大里と西海岸の二個所となり、第二組合が大里作業所を主として使用することとなつた。しかし市職労と第二組合を作業所別に完全に区分することができず、当局と市職労間の話し合いにより、西海岸作業所の作業員中市職労の指名する約三〇名を大里作業所に配置した。しかし、両者間の感情的なもつれを考慮して、大里作業所に配置された市職労組員も昼休みは西海岸作業所ですごすことになつた。以上の理由で、当日も原告森谷を含む市職労所属の作業員らは森田島夫運転のし尿ポンプ車で西海岸作業所に来ていた。

当日は、正午すぎ頃から雨となり、その程度は岡本係長が雨で作業がおわるのではないかと就労状況をみるため、作業員控室に来なければならないほどであつた。そうして、同係長は、控室に待機していた五、六〇人の作業員に就労を求めた。

坂本、宮浦の両名が連絡車を要求したのは、同人らが定員外乗車席の清掃車担当であつて、作業現場につくまでにぬれてしまうからであつた。ところが、同係長がこれを拒否したので、市職労門司支部副支部長、現業分会長の原告森谷が「どれだけ降つているか見ろう」といつて同係長と踊り場に行つたのである(無理に引張つていつたのではない)。

踊り場で、雨の程度について議論となり、原告森谷は岡本係長に「どうしても就労せよというのならば、お前乗つてみるか」と言つたことはあるが、被告主張の如き脅迫的言動に及んだ事実はない。そのあと就労したがこれは雨が小降りになつたからである。

2 原告安田について

当日朝雨が降つていたこと、大里作業所作業員詰所で白木係長と坂本岩男との間にトラブルがあつたこと、その間に原告安田が割つて入つたこと、そのとき同原告は白木係長に「お前が悪い」と言つたことは認める。その余は否認。

当日原告安田は定刻にし尿車一二号に乗つて出発しようとしたところ、窓がしまらず、座席も濡れていたので、他の作業員と雨よけの段ボールや新聞紙をとりに戻つた。そこで、白木係長と坂本とのトラブルを目撃し、けんか寸前の状態であつたので、原告安田はその間に割つて入つた。同原告が白木係長に「お前が悪い」と言つたのは、同係長が坂本の言う事情もきかずに体で押したりしたからである。同原告は白木係長に対する何らの威迫的挙動もなしておらず、被告の主張は全く理由がない。

3 原告木村について

その趣旨、内容は別として、原告木村が訴外米沢と共に昭和四五年五月一六日と一九日の各午後三時二〇分頃、運転手に仕業点検に関する呼びかけをしたこと、更に訴外米沢は同月一八日にも同様の呼びかけをしたこと、この行動について武井副所長が、同月二〇日、原告木村と訴外米沢を呼び「車を止めたから」という理由で注意する旨告げたこと、これに対して原告木村は一八日は年休であり事実誤認である旨指摘したこと、原告木村が拳で机を叩いて机上に敷いてあつたガラスが割れたことは認めるが、その余は否認。

当時、市職労は、安全運転のため仕業点検の徹底をはかる活動をしていた。前記原告木村、訴外米沢らの呼びかけは、運転手が当時仕業点検をそこそこにすませて早く作業に出たがる実情にあつたので、必要ならば八時二〇分までかかつてもかまわないと呼びかけたのであつて、一律に八時二〇分まで車を止めよなどと言つたことはない。

これに対して武井副所長は、「車を止めた」と注意し、しかも原告木村が年休をとつている一八日も含めて注意したので、原告木村は、事実誤認を指摘し、出勤簿まで示してその確認を求めた。しかし武井副所長はその確認を避け、謝罪も訂正もしなかつた。よつて、同原告は同副所長の机のところに行つて、重ねて事実誤認の確認と仕業点検問題の理解を求めた。しかるに、同副所長はこれに応じないため、若くて正義感の強い原告木村は、思わず拳で机の中央部を叩いたのである。

これについては、昭和四四年の年末清掃出勤拒否事件において、子供を亡くしたため出勤しなかつた作業員も一緒に懲戒処分された事例があつたため、原告木村としては事実誤認は誤認として確認させておく必要があつたのである。

また当時、事務所側は、仕業点検をないがしろにし、早く作業に出ることを指導していたので、原告木村は、運転手の中の安全委員会の中核である訴外米沢と共に仕業点検の重要さと組合の取り組みを説明し、理解を求めたのである。

ガラスの破損については、当局と組合が協議の上、市職労において翌日弁償した。

また、同時に、仕業点検問題は双方(当局と市職労)で話し合うこと、事実誤認問題は武井副所長においてこれを率直に認め、原告木村に対しては組合を通して話をすることも合意された。

4 原告神本について

昭和四五年六月頃名札盤(以下手割札ともいう)が西海岸作業所に設置されたこと、同年七月二五日午前八時すぎ頃、原告が名札を裏返したこと、当日吉永正直に対する懲戒処分が発令されて午前八時頃西海岸作業所二階事務室ではこれに対する抗議が行われていたことは認める。その余は否認する。

前記の通り昭和四五年七月二五日、吉永正直は懲戒処分(免職)をうけた。その理由は、同年六月二〇日当局による一方的チエツクオフ禁止に伴い発生したトラブルの責任者ということであり、しかも同人は、給料を強奪したという全く不名誉な報道もされた。しかし原告神本は、その事実無根を知つており、前記の朝の抗議行動への参加を呼びかけるため、作業所階下に行つたところ、手割札の前に四、五人の組合員が居た。

この手割札は組合の反対にもかかわらず、昭和四五年六月頃、一方的に設置され、従前作業員の配置を配置表によつて出勤簿と本人の確認とで行つていたものに、更に重ねて手割札を使おうとするものであつた。よつて、組合は手割札を返す必要性がないと反対していた。しかも当時作業員中二〇数名は手割札に反対して出勤してもこれを返していなかつたので、現実に手割札をもつては出欠の確認ができず、指導員は出勤簿と本人を確認しつつ配置表に基いて作業配置をしていた。従つて原告神本の行為は業務を妨害する性質のものではなかつた。更に時間的にみて、原告神本が手割札を返したときは、すでに手割作業は終了していた筈で、指導員の手間としては、原告神本がかえした名札をまたもどせばよいわけで、手割作業が非常に遅れたというのは虚偽である。

またこの手割札の一方的設置、あるいは訴外吉永に対する一方的かつ過酷な処分をみてもわかるように、門司清掃事務所の反労働者的労務管理の姿勢は明らかで、同原告の名札裏返えし行為は、基本的には異常な労務管理に対する抗議であつた。

次に、原告神本は、当日終日職務放棄をしたことも、大里作業所での就労拒否を企図したり、それをあおつたり、そそのかしたりしたこともない。この点は、処分理由書に記載もない。

5 以上の通り原告らには被告主張の非違行為はなかつたから、本件処分は違法である。

五 再抗弁(原告ら)

1 本件は、昭和四四年北九州市において一方的に「清掃合理化」が行われ、それを定着させようとした過程で発生した出来事である。市は、そのなかで雨天就労、仕業点検等労働者の安全に重大な関係を持つ事柄について一方的に自己の意思を強行し、労働者の抗議、反対は処分で押えようとした。つまり、本件において懲戒処分は、「合理化」推進の道具として本来の趣旨に反して濫用されたのである。

2 昭和四四年市は、「清掃合理化」計画を実施した。

これは前年一〇月市が市職労現業評議会(以下現評という)に提示した「統一車付作業員数―(案)―」なる作業計画により、収集形態別、車種別に作業員数、搬送回数、受持世帯数の全市統一した基準をつくり、各清掃事務所ごとに人員配置をやりなおして、余剰人員は配転あるいは退職勧奨で削減しようとするものであつた。

従来各作業所に配置されていた作業員数は、旧市以来各事務所の分会が当局と職場交渉により積みあげて来た結果であつた。従つてこの「合理化」計画は、当局の机上プランで、これを変更し「統一」して、組合が闘い取つた成果を一挙に奪取し、労働を強化しようとするものであつた。またこの計画はいわゆるステーシヨン方式ダストボツクス方式を前提として、市民にごみ運びについての労力提供を要求し、人員削減とあいまつてサービス低下を招来するものであつた。

よつて、現評は、これを市職員労働者と市民の双方にむけられた攻撃と判断し、安全運転、安全作業の励行、時間外抗議と組織内意思統一、反撃体制の確立等にとりくみ、また清掃事業改善要求三〇万人署名運動等を行う方針を固めた。

他方また現評は、当局との交渉で「合理化」計画の内容を追及し、再考をうながしたが、市は本部段階の団体交渉で形式的、一方的説明をしただけで、現場の清掃事務所ではそれもせず、この合理化案を一方的に強行した(労働条件の一方的な不利益変更)。

よつて、特に作業困難地域を多くかかえる若松区と門司区において、実態を無視した机上プランたる合理化計画の強行実施は、多くの混乱を生じ、門司においては労働災害の多発という最悪の事態となつた。

即ち、ステーシヨン方式は、清掃車の連続的走行を前提とし、作業員は絶えまない小走りを要求され、作業は粗雑となり(サービス低下)、作業員に腰痛等をひきおこした。また一定地域を定められた曜日に収集する曜取り制は、雨天作業を前提とし、飛躍的に危険度を増加した。昭和四五年一月中だけで門司清掃事務所で五件(市職労門司支部清掃分会調査では八件)の労働災害が発生し、特に雨天作業において次の大事故が発生した。

(イ) 昭和四五年一月二〇日、西海岸作業所作業員(し尿車予備員)西村道夫。

機械にかみこまれた雑誌を押し込んだ際に左手指四本切断。本来ならば雨天待機のところ、雨天作業が強行され、人員不足で不慣れな塵芥作業の機械車に臨時配置となつていた。

(ロ) 同年三月三日、門司清掃事務所作業員下原金治。

右と同一車輛で、雨天就労中、螢光灯破裂による破片で左眼失明。

雨天作業は、見通しが悪くゴム手袋は滑り、ステツプ乗車の危険は倍加し、雨水侵入、発汗による不快感等、事故発生の要因が多く、これらの事故は当然に起るべくして起つたのである。

3 右(イ)の事故に際し、組合は、西村道夫の身分待遇保障要求と、車付人員増加や雨天就労は従前通り組合と協議して決定すること等を含む一〇項目の安全に関する要求を行つていたが、当局が何ら対策をとらない間に(ロ)の大事故が発生し、組合は事故車の廃車、防護眼鏡支給、雨天作業中止等の安全要求を行つた。しかしこれにも当局は何ら対応策を示さなかつた。

かくして、清掃作業員らは、自分らの安全は自分で守る(当局不信)の覚悟を定めざるを得なくなつた。

4 昭和四五年五月一日竹内英男が門司清掃事務所長に就任した。同人は、清掃関係に全く未経験であつたのに、門司区の清掃実態は「非常に遅れて」いると認識し、その遅れは「服務規律」の乱れにあると独断して出勤の厳正、名札盤の励行、規律違反行為の報告励行、ルールにのつとつた組合交渉をもつて方針とした。

これは全く清掃の実態把握をしない反労働者的労務管理であつた。

そうして、労働者との話し合いや交渉も「北九州市の交渉ルール」を盾に六カ月にわたつて拒否して来たもので、このような方法をとる限り、現場でトラブルが発生するのは当然である。そうして、このトラブルはささいなことでもまさに「報告」され、懲戒処分の対象となつたのである。

前記原告神本の処分事由に関するチエツクオフについて述べると、竹内所長着任時、門司清掃事務所では慣行としてチエツクオフが行われていた。西海岸作業所におけるチエツクオフは、大里の門司清掃事務所から正午前に給料が送られ、組合役員の手でチエツクオフが行われ、午後一時前に作業員に給料が渡されるようになつていた。ところが竹内所長は、単純労務職員のチエツクオフを禁ずる法令も規則もないのにあると誤解し、一方的にこれを禁止した。当時市職労門司支部書記長でチエツクオフを行う立場であつた金本政夫は昭和四五年六月二〇日の給料日に、従前通りチエツクオフを行おうとして当局側とトラブルを生じ、その場に居合わせただけの吉永正直が七月二五日懲戒免職処分となつた。

5 仕業点検についても同様のことがいえる。昭和四五年度は事故が多発し、小倉東清掃事務所においても組合は安全作業のため仕業点検の励行に立ち上つた。

小倉東清掃事務所は、昭和四三年四月、小倉北区吉田に清掃事務所が移転する前は、作業員が詰める現場事務所が葛牧に、車庫は湯川にあつた。そのため、運転手は清掃作業員より三〇分早い午前七時三〇分を出勤時刻とされ、時間差手当の保障のもとで、三〇分間を仕業点検と湯川から葛牧までの回送にあてていた。しかし昭和四三年四月、時間差手当が廃止されると共に、清掃事務所が移転し、車庫と現場事務所が一体化したときから、当局は、午前八時すぎに一定の時間を定めずまちまちに体操のレコードをかけ、早めの出勤を促した。清掃作業員もまた早く出勤して早く仕事を終えたい気持があつて、仕業点検がなおざりになる背景ができていた。その間安全運転管理者たる所長、運輸係長らは仕業点検につき特段の指導をせず、運転手に委ねていた。そこで、運転手と組合清掃分会で構成されている安全運転委員会は、作業点検には二〇分間程度の時間が必要であることから、出勤時間を八時二〇分以降にすることを当局に申入れると共に作業員にも協力を求め、安全運転、安全作業のため、これを唯一の目的として、自覚的、主体的に仕業点検をきちんとする活動に入つた。なお戸畑清掃事務所では、仕業点検時間を二〇分間とする旨組合との合意ができている。後日のことであるが本件は、八時一五分から体操をして一斉に出動ということで合意をみた。

このように、最終的には、この問題に関する組合の活動目的の正当性を当局も認めた。しかし本件では、当局は原告木村が時間中に組合活動をした、しかもそれはサボタージユを勧めたと認識して違法視したのである。

6 以上の諸事実関係を前提として、本件各懲戒処分の効力を考えると、以下述べる理由により本件原告らに対する懲戒処分は、仮りに原告らに何らかの違法行為があつたとしても、違法な処分であつて取消されるべきものである。

(一) 被告の原告らに対する各懲戒処分は、原告らの正当な組合活動、あるいは原告らが組合の活動家であつたことを嫌い、それを決定的理由として為された不利益取扱いであつて地方公営企業労働関係法四条、労働組合法七条一ないし三号に該当する不当労働行為である。

(二) 被告の原告らに対する各懲戒処分は処分権の濫用にあたる。

懲戒処分は、その種類、程度の決定にあたり公正かつ相当のものでなければならない。停職はその期間給与が支給されないし(北九州市職員の懲戒の手続及び効果に関する条例四条)、その職を保有する関係で地公法三五条の職務専念義務からは解放されず他の職につくこともできない。また停職、減給、戒告は昇給延伸の不利益を伴い、原則としてその影響は在職する限り残存し、退職金、年金にも重大な不利益をもたらす。従つて、懲戒処分は任命権者の自由裁量にゆだねられるわけではなく、対象行為の動機、目的、経過その他諸般の事情を総合的に勘案して「公正」かつ「相当」な合理性ある範囲で行われなければならない。

しかるに市における懲戒処分は、その各種合理化政策を行う手段として、本来の目的を逸脱して行われて来た。特に竹内門司清掃事務所長は、前述の如く反労働者的労務管理を行い、単にその趣旨、目的を逸脱したというだけではなく、労使関係を自己に有利に導くため、積極的に懲戒処分を利用する意図をもつていたものである。

他方本件各原告らには、暴力行為と目するほどのものはなく、前述の如き事件発生の背景、経緯、態様、結果にてらすと、原告らの各行為は、組合員ないし組合役員としてやむなくとつた行動であり、基本的には労働者として、人間として当然の権利行使であつた。原告木村が割つたガラス(故意はない)にしても弁償が行われ、原告神本の行為も、当日の作業に支障を来たすことはなかつた。

以上の理由により、本件懲戒処分はいずれも過酷であり、重きにすぎ、懲戒権を濫用した違法がある。

六 再抗弁に対する認否(被告)

争う。

なお、本件当時の門司区における清掃業務は能率悪く、じん芥はようやく週二回の定時収集が実現していたが、し尿等は他区にくらべ著しく遅れ、二〇日一巡の基準が守れない地域が多く、三〇日一巡といつた地域もあつた。

区民の苦情も多く、当局は、物的施設の整備強化、収集方法改善等を行つたが、そのおくれの主要原因は服務規律の弛緩にあると判断した。すなわち、当時の門司清掃事務所の職員は、病休、特に診断書を要しない三日以内の病休が多く、しばしばし尿車の一部を欠車せざるを得なかつた。また欠勤、遅刻について事前連絡が不十分であり、出勤しても出勤簿に押印しない者がおり、出勤者の確認に手間どり、終業時前にこつそり退庁する者もあつた。更に、職員は上司の指示・命令に素直に従わず、一部職員を中心として上司に反抗的であり、暴力的行動に出ることが多かつた。組合も事あるごとに所長、副所長、係長らに集団で押しかけ、吊し上げて自分達の要求を通す態度をとつていた。

竹内所長がとつた出欠名札盤の設置活用もこの現状を打開して正常な勤務体制を確立するためであつたし、その他命令不服従事案や粗暴行為、暴力的行為者についての報告励行、無断早退防止のための見張、交渉ルールに基く団体交渉(無秩序な集団交渉には応じない)等の対策をとつた。本件はこれにより清掃業務の能率が向上する過程で生じたトラブルの中の特に悪質なものである。

なお、雨天作業についての協議慣行はなく(事実上組合と話合いをしたことはあるが)、従前から清掃作業は雨天でも行うことを前提として運営されて来た。当局も雨天作業をやりやすくするため、清掃作業車の定員外乗車席に屋根やドアをつけ、職員にも雨合羽を貸与するなどのことをして来た。

市は、雨天時に限らず作業の安全には当然意を尽していた。原告ら主張の昭和四五年一月と三月の西村及び下原の事故も、その内容は雨とは直接関係のない原因によつて発生したものである。

第三証拠〈省略〉

理由

一 請求原因第1、3項は、当事者間に争いがない。同第2項は、証人金本政夫、原告ら四名各本人の供述に弁論の全趣旨をあわせてこれを認めることができ、この認定に反する証拠はない。

二 成立に争いなき甲第七号証の一、二の各一部、同第一〇号証の一ないし五、同第一五、第一六号証、証人竹内英男、同岩佐常雄、同中村匡貴、同金本政夫の各供述の各一部、前掲甲第七号証の一、二と弁論の全趣旨により成立を認める甲第九号証の一ないし一二に弁論の全趣旨をあわせると、市のいわゆる清掃合理化について、以下のとおり認めることができる。

1 市は、昭和三八年門司、小倉、八幡、戸畑、若松の旧五市が合併して発足したものであるが、旧五市の区域は、夫々市の区となり、かつ旧五市時代の行財政水準の格差をそのまま区が承継したため、各区にある清掃事務所相互間にごみ、し尿収集方法、配置人員、収集巡回数等にも不均衡格差が存在した。それは、旧五市以来、各行政当局と労働組合とがあるいは交渉協議し、あるいは対立しつつ積重ねて来た事実関係ではあつたが、合併後は同一市内におけるサービス供与の差異、人事交流の障害ともなつて現れ、市は、昭和四三年一〇月、これを解消する方法として、市職労現評に、「統一車付作業員数―案―」を提示した。

2 右案は、ごみ、し尿収集方式の能率化を前提として、各収集形態別に、作業員数、搬送回数、受持世帯数につき全市に統一した基準をつくり、各家庭につきごみ週二回、し尿二〇日一巡の収集を実現しようとするものであつた。しかしその計画は、機材車、ポンプ車の充実等のほか、例えばごみについてはダストボックス方式、ステーシヨン方式の採用(各家庭で、ごみを入れたポリ容器、あるいは後にポリ袋を指定集積場所に集め、これを回収することによつて従来のかき出し収集方式にかえる)、人員の配置換え等を含むものであつたため、地形、道路状況等による作業困難地区においては、受持世帯数を減じ、あるいは車付作業員を増す等の措置はとられていたが、なお組合は、市民の負担と労働の強化による人べらし合理化であると反対した。

そうして、更に市側が、はじめその実施に要する総作業員数その他具体的な実施計画の説明ができなかつたこと、この点をとらえて組合側は、市がかかる計画を作成した以上、その所要作業員数程度のことを検討していないわけはなく、説明しないのは減員となるからで、それをあまり早く発表しては交渉の進展を妨げると考え、かくしているのだと判断したこと、その後市側は、組合の指摘による作業困難地区の追加、予備人員に関する説明(一〇%)、及びこれをこえる計画案上の余剰人員は各清掃事務所に配分して不法投棄、不燃物、河川清掃等に従事して貰う旨の説明等も行つたが、組合側は、従来の人員配置は夫々旧市以来の実績を経ておりそれなりの合理性を持つもので、それでもごみ週二回取り、し尿二〇日一巡の目標は到達できないのに、物的設備の増強は当然として、更に人員増を考えない市の計画は要するに机上プランにすぎぬという立場をとつたことにより、数回の団体交渉も妥協をみるに至らず、昭和四四年三月二八日にいたつて交渉は決裂した。その間市は右計画案の当初の実施予定日(昭和四四年一月一日)を順次延期して来たが、組合との交渉決裂により、同年四月一日からこれを実施した。

3 もともと、市当局と清掃業務担当職員の組合、特に市職労の現業分会に属する職員の間には、原告ら主張の昭和四一年の給与分断闘争(いわゆる「清掃紛争」で、当時の市が現業職員の給与表を一般職のそれから分離したことにより、清掃職員を中心に長期にわたる争議が行われ、懲戒免職を含む多くの処分者を出しまたその過程で組合分裂をみるに至つた事件)以来の不信感があり、それは、昭和四二年市長が保守系に交替し、その立場からする各種職場における合理化の方針が打出されたことによりますます増幅されていたことから、右の清掃合理化の組合の合意をまたない実施は、各現場で、その当否は別として、組合ないし組合員の抵抗に遭い、トラブルの発生を見ることとなつた。特に、それは一三名の減員、配置換えをみるにいたつた若松清掃事務所と、山手地区を多くかかえ従前から市の掲げる「ごみ週二回取りし尿二〇日一巡」の目標への到達度が低かつた門司清掃事務所(その原因は必要に応じて後述する)において顕著であつた。本件もこのような背景があつて発生した事件であることは否定できない。

4 なお原告らは、地方公営企業労働関係法附則四項により、同法及び地方公営企業法三七条から三九条までの準用をうける地公法五七条に規定する単純労務職員である。

前掲各証人、本人の供述、甲第七号各証の記載中、この認定に反する部分は措信せず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

三 原告森谷について(昭和四五年六月一八日、門司清掃事務所西海岸作業所)。

原告森谷が同清掃事務所の大里作業所に属していたこと、同日昼休み、同人が大里所属の作業員数名と西海岸作業所に来ていたこと、降りだした時刻・程度は別として雨が降り出したこと、業務第四係長岡本(証人岡本政昭の供述によれば、市清掃事業局門司清掃事務所業務第四係長岡本政昭)が就労するように求めたこと、坂本岩男、宮浦真人の両名が同係長に連絡車を出すように求めたこと、同係長がこれを拒絶したことは、当事者間に争いがない。

右の事実と前掲甲第七号証の一、二、証人岡本政昭、同金本政夫、原告本人森谷の各供述の各一部、右金本証人の供述により成立を認める甲第二号証の一、二、三、同第三号証の一、右原告本人の供述により成立を認める甲第三号証の二、五をあわせると、以下の事実が認められる。

1 昭和四一年の清掃紛争中、市職労の闘争方針に反対した組合員の一部がこれから脱退してあらたに組合を結成した(北九州市役所労働組合、以下市労という)。この市労結成のいきさつからして市職労組合員と市労組合員との間に反目が続き、円滑な協同作業もむつかしい状態にあつたので、市も両者の現場詰所をなるべく分離する方針をとり、門司清掃事務所においては、本件当時大里作業所に市労所属者を、西海岸作業所に市職労所属者を集めた。しかし市労所属者の数が少く、市職労とも合意の上、市は大里作業所に約三〇名の市職労所属者を配置した。そうして、市職労側の希望により、当局は昼休みは大里配属の市職労所属者が西海岸作業所に来て休憩することを認めていた。原告森谷やその他数名の大里所属作業員(坂本岩男、宮浦真人ほか)が本件当日の昼休みに西海岸作業所に来ていたのもその事情によるものであつた。

2 雨天作業は再抗弁の2において原告らが主張する如き理由により、作業員らに嫌われていた。特に同(イ)、(ロ)の西村、下原の事故が雨天作業下に発生し、直接の事故原因は降雨ではなかつたけれども不安感、不快感を伴う、雨天作業(視界の悪化、ゴム手袋の滑りやすさ、雨合羽による行動の制約、雨水の浸入や雨具下の発汗による不快さ等を伴う)は、単に物理的な作業障害となるだけでなく心理的にも注意力の集中を妨げまた早く仕事を終りたいとするあせりを生じ、事故が発生しやすい状況をつくり出すことは容易に推認されるところである。

従来も、雨天作業がないではなかつた。但し、それが規範的効力をもつた慣行となつていたとまでは認め得ないけれども、雨天作業を行うについては当局と組合代表とが協議してその上で当局が決定していた。しかし、「ごみ週二回取り、し尿二〇日一巡」の実現を目標として、前記の「統一車付作業員数―案―」が当局によつて実施され、それによつて地区毎のごみ収集日が曜日をもつてきめられるいわゆる曜取り制が実施されるにいたり、当局の雨天作業に関する態度も厳しくなり、従前は雨天待機となつていたような場合でも作業を命じた。そうするについては、勿論当局も雨合羽の貸与のほか、車の定員外乗車席の雨除けの取りつけ等を行つたが、原則的な運営方針が前記のとおりであつたため、雨天作業は直接間接に労使間のトラブルの原因となつた。

特に組合側は、昭和四五年一月二〇日、雨天作業中、西海岸作業所の作業員でし尿車の予備員であつた西村道夫が、じん芥作業車に配属されて、原告ら主張の如く左手指四本切断の負傷をしてから、事故の補償及び車付人員の増員、車種の統一、危険手当支給、予備員だけで作業に出さぬこと等のほか、「雨天就労については、従前通り、組合役員と事前協議せよ」と要求していた。そうして、その交渉が解決しないうちにやはり雨天作業で同年三月三日、門司清掃事務所作業員下原金治が原告ら主張の如き螢光灯破裂事故で左眼失明の傷害を蒙る災害が発生した。組合は抗議集会を開いて、被害者の身分保障安全作業及び被害補償等に関する一四項目の要求を集約しその実現のため持続的に闘争を行うことを決定した。その中で「雨天作業」は中止を要求することとなつた。

3 そこで前記の如く、昭和四五年六月一八日昼休み、原告森谷を含む大里作業所所属の作業員らが西海岸作業所に来ていると雨が降り出した。その程度は普通には傘を必要とする程度であつたが、その当時としては待機命令が出るほどではなく、当局側は当然午後の作業も行うものとしていた。しかし前記の事情により、当時雨天就労の可否をめぐつて労使の紛争が多発していた時期であつて、岡本係長は午後一時の始業時刻になると、就業状況をみるため、二階の作業員詰所に赴いた。そうして、詰所でまだ作業に出ていなかつた五~六〇人の作業員に就労を指示した。作業員らは、雨天を理由に抗議したが、岡本係長は再三就労を指示しそれによつて就労する者も出て来た。これに対して大里作業所から来ていた坂本岩男、宮浦真人らは、途中で濡れるから「連絡車を出して送つてくれ。」と同係長に要求した。これは、右坂本らが車の定員外乗車席を利用して西海岸作業所から来ていたことから言つたものであつたが、連絡車は主として事務連絡、現場のパトロール等に使用するものであつたことから同係長はこれを断つた。

すると原告森谷は、岡本係長の前に来て「車を貸せつちいいよろうが。」と大声で抗議し、「お前が乗つてみれ(雨天に車の定員外乗車席に)。」と言い、雨が降つているのをみよと同人の左腕をつかんで二階から屋外に直接出る非常階段の踊り場(地上からの高さ約四m)に引つ張つて行つた。そして、「お前が乗つてみれ」「ここから突き落すぞ」と同人を脅した。もとより原告森谷が本気で岡本係長を突き落すつもりがあつたとまでは認めることができないが、右のような状況では、岡本係長が万一のことを考え畏怖したことは明らかで、同人は「やめんか」「やめなさい」とくりかえして原告を押し戻そうとし、暫時踊り場で争つた。

以上のとおり認めることができ、前掲各証人及び原告森谷の供述中この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

四 原告安田について(昭和四五年六月一〇日、門司清掃事務所大里作業所)。

当日朝雨が降つていたこと、大里作業所作業員詰所で白木係長と坂本岩男との間にトラブルがあつたこと、その間に原告安田が割つて入つたこと、そのとき同原告は白木係長に「お前が悪い」と言つたことは、当事者間に争いがない。

右の事実と、前掲甲第七号証の一、二、証人白木茂美、原告安田の各供述の各一部をあわせると、以下の事実が認められる。

1 雨天就労については、前記の如き事情で労使間に対立があつたが、昭和四五年六月一〇日朝も雨が降つていた。

門司清掃事務所の始業時刻は午前八時であつた。通常はそれから出勤作業員の作業配置が指導員によつて行われ、また運転手による仕業点検がなされて八時五分頃には共に終了し、ラジオ体操をすませ、各作業員はその日の作業配置に従つて担当車輛に乗車し、おおむね午前八時一五分頃には全車が作業に出発していた。

ところが、六月一〇日は業務第二係に属するし尿一〇班と大口班の車が出発せず、同事務所業務第二係長白木茂美が第二係の作業員詰所に行つてみると同班の作業員らが残業していた。そこで、同係長が他の車は出ているから就労するように指示すると、残留者らは、「合羽がない」とか言つて応じようとしなかつた。同事業所においては、その数日前新しい合羽を貸与したばかりであつたので、同係長はこれを単なる弁解とみて重ねて就労を指示するとまず大口班は詰所を出た。そこで更に残つているし尿一〇班の作業員に就労をうながし、八時二〇分すぎ頃には同所に大瀬業務第一係長、上野庶務係長、藤本運輸係長も来て就労をうながした。残留作業員らは雨天待機であると係長らに抗議したがそのうち興奮した残留者中の坂本岩男が「生意気な」と言つて両手で白木係長の胸を突き、同係長は左側の机に手をついてそばの長椅子に尻もちをついた。

2 原告安田は、当時予備員であつたが、し尿第一二班に配置され、出勤しようとしたところ、車の窓が閉まらず雨が降り込むので防雨用のダンボール等をとるため、一旦詰所にひきかえした。すると前記の如く係長らの説得・指示とこれに対する残留者の抗議があつていて、その様子をみているうち、右坂本が白木係長を突き、同係長が椅子に尻もちをついたので、同原告は右坂本に同調して、椅子に坐つたかたちの白木係長の前に飛び出して「お前が悪い」と言つて同人に詰めよつた。そこで藤本係長、上野係長、大瀬係長らに制止されたが、そうしているうちに原告安田の車は同人を置いて作業に出てしまつたので、原告安田は午前八時四〇分頃、指導員の連絡車に同乗して出発するまで作業につかなかつた。

以上のとおり認めることができ、前掲証人及び原告安田の供述中この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

五 原告木村について(昭和四五年五月二〇日、小倉東清掃事務所二階事務室)。

趣旨、内容は別として、原告木村が、訴外米沢と共に昭和四五年五月一六日と一九日の各午後三時二〇分頃、運転手に仕業点検に関する呼びかけをしたこと、更に訴外米沢は同月一八日にも同様の呼びかけをしたこと、この行動について小倉東清掃事務所武井副所長が同月二〇日、原告木村と訴外米沢を呼び「車を止めたから」という理由で注意する旨告げたこと、これに対して原告木村は一八日は年休であり事実誤認である旨指摘したこと、原告木村が拳で机を叩いて机上に敷いてあつたガラスが割れたことは当事者間に争いがない。

右事実と成立に争いなき甲第四、第五号証、証人新川行雄の供述の一部、この供述により成立を認める甲第六号証、証人田村健治、同生野隆夫の供述、原告本人木村、証人中村匡貴の各供述の一部をあわせると、次の事実を認めることができる。

1 昭和四五年五月一六日土曜日の作業終了後である午後三時二〇分頃、原告木村(前記の如く小倉東清掃事務所自動車運転手)は、同僚の米沢と共に小倉東清掃事務所ロツカー室で運転手らに対し仕業点検を十分に行うことを訴えたが、同時に、「朝、仕業点検を終えて出るのが早すぎる。」「これは我々の既得権なので、やはり八時二〇分までは出なさんな。」と説得した。

更に、翌々一八日月曜日の午前八時一〇分頃、右米沢は新川行雄(市職労小倉支部清掃分会長)と洗車場で運転手に同旨の説得をした。更に翌一九日火曜日の作業終了後である午後三時二〇分頃、ロツカー室で原告木村と右米沢は運転手に同旨の説得をした。

2 小倉東清掃事務所の場合も、始業時刻は午前八時であり、それからいわゆる手割りが行われ、運転手は仕業点検にかかり、大体五~六分間で終つて出発していた。所側は八時すぎるとラジオ体操のレコードを流していたが、体操をする者はあまり居なかつた。

仕業点検は、北九州市自動車管理規則に基いて運転者に義務づけられているもので(第一七条)、仕業点検表に基いて一五項目の点検個所が定められ、点検の後表の各項目毎に○×等の記号でこれに記入し、これを整備管理者、安全運転管理者、係長、管理責任者が点検押印し、仕業の可否を決する定めになつていた。しかし通常は、運転者が異常なしと認めた場合は特段の指示を求めることなく出発して仕業点検表は後にまとめて管理者側がチエツクし、運転者が異常を認めた場合のみ指示を求める運用をしていた。そうして通常運転者が仕業点検にかける時間は、五~六分間であつた。

3 昭和四三年四月より前は、清掃関係では運転手と作業員とで始業時刻を異にし、運転手の方は作業員より三〇分早い午前七時三〇分に始業し、その時間を仕業点検及び車の輸送にあて、時間差手当を支給されていたことについては原告らの主張のとおりである。その後、昭和四三年四月勤務時間の改訂があり、運転手も午前八時の始業となりまた車庫と本業員詰所も同一場所に移転して前記2のような運用になつたし、管理者側も速やかにおおむね八時一五分までには出勤することをうながしていたことは否定できない(勿論仕業点検は適当に切上げよというようなことは指示しなかつたとしても)。

また、この仕業点検時間は、各清掃事務所によつても異り、戸畑清掃事務所においては、約二〇分間ぐらいをあてていた。

昭和四五年当時は前記西村、下原の場合をふくめ、清掃関係で事故が多く、組合もまた仕業点検を十分にするよう組合員運転手に呼びかけ、作業員にも協力を求めていた。

4 しかし本件において原告木村や前記新川、米沢らが行つた説得は、前記認定の如く現在仕業点検が不十分だから時間をかけてもこれを十分に行えという趣旨だけではなく、既得権云々の言からみても就労時間のうち午前八時二〇分までは仕業点検にかけてよいのだから、早く終つたとしても八時二〇分までは出動するなという趣旨を含むと認められる(後日のことであるが、この問題は当局と組合側との交渉により午前八時一五分頃準備体操をして一斉に出動と合意され、仕業点検はそれまでに終ることで解決された。)。

5 そこで、この報告をうけた生野小倉東清掃事務所長は、武井副所長に命じて同月二〇日、原告木村、及び前記米沢に注意させたところ、同副所長は両名が前記の三日間にわたつて右のような説得をしたと理解し、それを前提として右両名に注意したため、一八日(月)は年休をとつて出勤していなかつた原告木村は「事実誤認」、「デツチ上げ」を主張し大声で抗議した。しかし同副所長が明確に同原告の一八日の行為を取消さなかつたため同副所長の注意が全く不当というわけでもないのに興奮した同原告は前記のとおり同副所長の机上を拳で叩いたところ、強打したため机に敷いてあつたガラスが割れた。

6 このガラスは翌日当局と組合側で協議した上、市職労が弁償した。

以上のとおり認めることができ、前掲新川、中村各証人及び原告木村の供述中、この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

六 原告神本について(昭和四五年七月二五日、門司清掃事務所西海岸作業所)。

昭和四五年六月頃、名札盤が西海岸作業所にも設置されたこと、同年七月二五日午前八時すぎ頃、原告が名札を裏返したこと、当日吉永正直に対する懲戒処分が発令され、午前八時頃西海岸作業所二階事務室ではこれに対する抗議が行われていたことは、当事者間に争いがない。

右の事実と、前掲甲第七号証の一、二、証人竹内英男、同岡本政昭、同岩佐常雄の供述、証人金本政夫、原告本人神本の各供述の一部、成立に争いなき乙第二ないし第四号証、甲第一三号証、原告本人神本の供述により成立を認める甲第一四号証をあわせると、以下の事実が認められる。

1 本件当時一般に清掃部分の労使関係は円滑とはいえなかつたが(第二項1ないし3参照)、特に門司清掃事務所関係では、それが顕著にみられた(原告森谷、同安田の件参照)。

昭和四五年五月一日、竹内英男が門司清掃事務所長として着任した。当時同事務所管内では、当局の目標とする「ごみ週二回取り」が抵抗をうけながらもようやく実現したが、これは「し尿」に対しごみ収集を優先させることとして、必要に応じて「し尿」関係の人員を「ごみ」にまわす方法をとつて来たからで、「し尿」の二〇日一巡の目標は未達成であつた。

竹内所長は、その原因を服務規律の乱れ(雨天作業命令への不服従、診断書を要求されない三日以内の病休の多発、事前の届出のない早退、遅刻、欠勤、作業配置への反抗、一部従業員の出勤簿不押印等)にあると判断した。そうして労働者側にも第二項、第三項2に認定の如き事情はあつたにせよ、これらの現象が現実に存在していたことは否定できなかつた。

そこで、竹内所長は、出勤の厳正、規律違反行為の報告励行、ルールに則つた交渉を原則として服務規律をただしこれによつて作業能率をあげることを考え、その方法の一つとして当時清掃事業局で採用されていたが、組合の反対によつて門司清掃事務所では設置されていなかつた名札盤(その使用方法や効用は抗弁4の(一)において被告が主張しているとおりである)を設置し、所属の職員にこれを使用して出勤、退勤を明らかにすべきことを命じた。

しかし本件当時(七月)、一部の労働者は組合の方針に従い名札盤使用の命令に服さず、原告神本もその一人であつた。

2 昭和四五年七月二五日、門司清掃事務所清掃作業員吉永正直に対する懲戒免職処分が発令された。

従来同事務所関係では、市職労所属組合員の組合費徴収の方法として、当局の承認のもとに各組合員の俸給袋からまず組合役員が組合費を控除し、その後で控除をした後の俸給袋が各組合員に渡される方法を採つていて、これをチエツクオフといつていた。ところが同年六月、当局はこの方法による組合費徴収を認めないこととしたので、組合側が反撥し、同月二〇日の給料支給日に組合がこれを強行しようとし当局側と紛争を生じた。吉永正直は、市職労門司支部執行委員、現業分会副分会長等の役職にあつたが、その責任者として処分された。

3 そこで、七月二五日、午前八時頃から西海岸作業所二階事務室では、組合員らによる当局側への集団抗議が行われていた。原告神本は、この抗議に参加していたが、更に出勤している作業員に右抗議参加をよびかけるため、作業所の階下に降りて行くと、本田忠正指導員が名札盤によつて作業手割りをしていた。それを見た原告神本は、吉永処分の件で興奮していたこともあり、抗弁事実4の(一)に記載のとおり、本田指導員の制止もきかず、表(白)になつていた手割札を全部裏返えして同人の手割作業を妨害した。そのため、所側は、もう一度出勤者を確認して手割りをやりなおすことになり、当日朝の手割り業務は約一〇分間おくれた。

4 その後原告神本は、午前八時一〇分頃、同作業所事務室にはいつて来て、「大里(作業所)も仕事をさせん。」と言い、事務室の電話で大里作業所の前記原告森谷を呼び出し、連絡しようとした。その間、業務第三係長細川との間に「お前が仕事をさせんのか。」「そうよ。おれよ。」「お前が仕事をやめさせるんか。」「そうよ。わかつちよろうが。」といつたやりとりがあつた。しかし当日大里作業所で作業がおくれた事実はなかつた。

なお、同日原告神本は午後三時五〇分まで就労しなかつた。

以上のとおり認めることができ、前掲証人金本、原告本人の供述中この認定に反する部分は、措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

七 以上認定の事実によると、原告らが夫々その行為に出るについては、前記認定の如き事情はあつたにせよ、これらは労働組合の正当な行為ということはできず、原告森谷の前記昭和四五年六月一八日の行為は地方公務員法第三三条に違反して同法第二九条一項一、三号に該当し、原告安田の前記同年六月一〇日の行為は、同法第三二条、第三三条、第三五条に違反して同法第二九条第一項一、二、三号に該当し、原告木村の前記同年五月二〇日の行為は、同法第三三条に違反して同法第二九条一項一、三号に該当し、さらにまた原告神本の前記昭和四五年七月二五日の行為のうち、名札盤の名札をかえして業務を妨げた点は、同法第三二条、第三三条、第三五条に違反して同法第二九条一項一、二、三号に該当することを首肯することができる(原告神本の抗弁4の(二)の行為については後述)。

原告らは、本件処分が原告らの正当な組合活動、あるいは原告らが組合の活動家であつたことを嫌い、それを決定的理由としてなされた不利益取扱いであると主張するが、前記事実関係にてらしてこの主張は採用できず、他にこの点に関する原告らの主張を認めるに足る証拠はない。

また、原告神本を除いて、その余の原告らに対する処分権濫用の主張も、前記認定の如き各行為のいきさつ、内容、結果及び各処分内容にてらして、採用することができない。

八 原告神本について

成立に争いなき甲第一三号証(昭和四五年九月一二日付原告神本に対する被告の処分説明書)によると、処分理由として「昭和四五年七月二五日、門司清掃事務所西海岸作業所において、出欠名札盤の名札を裏返して手割業務を妨害するなどの行為をなしたものである。」とのみ記載されていて抗弁4の(二)の行為(判決理由第六項4の行為にあたる)に相当すると認めるに足る具体的な記載がない。そうして、前記認定の事実関係からみて、被告が本件処分当時同原告の右行為を認識していなかつたとは考えられず、また出欠名札盤に対する阻害行為と職務放棄ないし大里作業所への電話とその間の係長細川に対する言動とは、時間的には接着し、行為の場所も同じ作業所内であるけれども、行為態様について関連性はなく、その結果も自ら別個であつて両者の事実関係に同一性はないと考えるのが相当である。更に若し被告が後者も含めて処分する意思であつたとすれば、事実関係の認識はあつたわけであるから単に「手割業務を妨害するなどの行為」といつた書き方をせずに、後者を具体的に表示するに困難はなかつた筈である。そこで本件処分説明書交付の趣旨を検討するに、原告神本のような単純労務職員の場合は、地方公営企業労働関係法附則第四項、地方公営企業法第三九条により、地方公務員法第四九条の適用はないけれども、同人に処分理由を知らしめ、当該処分の適正、公平を期すると共に、これを争うか否かの判断資料を与え、身分保障をはかるにあることは、明らかである。そうだとすれば、本件処分説明書に前記後者の行為を具体的に認識するに足る記載がないことは、本件処分当時被告にこの理由をもつて原告神本を処分する意思がなかつたことを推認させるに十分である。してみると、これを情状として斟酌するのは別として、本件処分の当否を判断するに当り、後者の行為を本来の処分理由として考慮することは、許されない。

そこで停職処分の効果を検討するに、再抗弁6の(二)のとおりであつて(成立に争いなき甲第一八号証参照)、原告神本の行為態様、行為結果、他の原告らに対する処分内容その他前記認定にかかる諸事情を総合して判断すると、本件停職処分は、必要限度を超えて著しく裁量権を逸脱した苛酷なもので、懲戒権を濫用した違法があると判断するのが相当である。

九 よつて、原告神本に対する処分はこれを取消すべく、同人の請求は相当としてこれを認容するが、その余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、民事訴訟法第九二条により主文の通り判決する。

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